THE TALE OF...
 
~snigle malt whisky~
 


芸術と政治を結びつけてみた。

1969年、1970年の日本はすさまじかった。
そのころの日本では、司馬遼太郎の『竜馬が行く』が次々と連載され、出版されのころでしたから当時の若者にとってはあの時代がもう一つの明治維新だったように感じたのかもしれません。

今の自分とさほど変わらない年齢の学生が日本を変えようと、火炎瓶で機動隊と戦っていた時代です。
そのころはロックもジャズも若者の音楽で、そのスタイルに政治的な意味がありました。
また、フォークソングに代表される反戦歌も政治的意味を含んでいました。

友人の中の一人がダリの絵が好きで、そのなかに「ピアノを獣姦(縦貫?)する骸骨」みたいなタイトルの絵があり、頭蓋骨のあごの部分からにょ~っと何かが出てきて、グランドピアノの中に入っているといった絵です。
これも、絵の解説によると「ピアノ=文明で、骸骨が文明ではない(多分自然とか、人が作ったもの以外のなんか)もので、それがピアノを犯すことにより云々」といったことが書かれておりました。
当時の政治や世間に対しての風刺的(風刺というだけでは言葉たらずなのでしょうが、どうしても適切な言葉が浮かびませんでした)な感覚だったのかもしれません。

とにかく、文学も音楽も絵画も芸術の域まで高められ、何らかの形で政治と絡め、多くの人々の前に登場していたわけです。


しかし現代の日本で「郵政民営化」「自衛隊のイラク派遣」「北朝鮮問題」「北方領土」など政治上さまざまな問題があるのに対し、学生という立場からデモがあったり、政治的な運動があるといったニュースはないですよね。
別に「学生諸君!今こそ立ち上がるのだ!」と言う意図があるわけではありませんが、現代の学生は政治に対しての関心が少なく、その問題に対してなんとも思わないのが主流なのでしょうか。

その原因として考えてみたのですが
文学も音楽も絵画も芸術ではなくなり、ただの娯楽になってしまった。
ということが言える気がします。

今、日本には純文学とよばれたジャンルは新刊として出てくる小説の中にはないような気がしますし、政治的意味を持つ音楽なんてありません。

学生運動にびびった政府が学生をノータリンにするためにすべてを大衆化し、単調な作業を繰り返すだけのゲームや、質の落ちた教育などを提供したのではないだろうかと、勝手な想像が膨らみます。

冗談はさておき

かつてなら何するのも「御国の為」だったのでしょうが、今では何するのも「自分の為」になってしまい、個人主義が進みすぎているのではないだろうかと思います。
母国の歴史や文化に誇りを持つのは当然だと思いますが、現在における母国にも誇りを持てるようにならないと、国際社会では生き残っていけないような気がします。
自分が誇りを持てる国にするためには、自分が政治に興味をもち、参加しなきゃならんということを改めて確認いたしました。



2月16日(水)21:54 | トラックバック(0) | コメント(1) | 頭の中 | 管理

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コメント

そういや

そういや何かするときって自分の為ばっかりやなぁ~
国の為に戦争したりデモしたりするのもすごくおかしいと思うけど、自分の被害妄想とかから小学校に乱入
するような今の世の中って本当に救いようのない感じですね。


 by cozy | 2月16日(水)23:03


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